社会教育指導員の役割について考えてみましょう
平成27年10月7日
下益城郡美里町中央公民館


 皆さん、こんにちは。
 ただいまご紹介いただきました中川です。よろしくお願いします。本日は、社会教育指導員の役割について、話をして欲しいとの依頼があり、引き受け、ここに来たわけですが、私は社会教育を懸命に研究したわけではありません。社会教育に精通している者でもありません。教員時代の一時期、社会教育行政に関わった経験があり、その間、社会教育のほんの一部分に触れただけです。先ほど、応接室で教育長とお話しした中でも申しました。社会教育とは幅が広いこと。学校教育以外は全て社会教育の範疇ですから。自信を持って社会教育について話ができるという方などおそらくいらっしゃらないのではかと。そんな私が社会教育指導員の役割について話をするのですから、社会教育主事として学んだことや、益城町で6年間社会教育指導員をして町行政や住民の皆さんの思い等から学んだこと等を中心にして社会教育や社会教育行政についての私の思い話をさせていただきたいと思います。
 はじめに、社会教育指導員制度の背景を見てみたいと思います。
 社会教育指導員制度は、昭和46年の社会教育審議会答申「急激な社会構造の変化に対処する社会教育のあり方について」の結語(5)「社会教育行政の重点」に見ることができます。
 この答申は、社会教育関係者の間では、社会教育行政のバイブルのように受け止められ、答申年が昭和46年であったことから、通称「46答申」と呼ばれています。この答申は、行政主導の社会教育から民間主体の社会教育活動を行政が支援する学習条件整備型社会教育への移行を提言し、社会教育と社会教育行政の考えを明確に区分しています。そして、生涯学習時代の社会教育の在り方を指し示しています。住民の学習活動要求に応えるために、結語(5)において社会教育施設及び指導者の充実を求めました。


社会教育審議会答申「急激な社会構造の変化に対処する社会教育のあり方について」 
 結語(5)「社会教育行政の重点」

 社会教育のための施設と指導者は、社会教育振興の基盤であり、その飛躍的充実が図られる必要がある。このため、社会教育行政当局は、社会教育施設については、その目的、種類、利用範囲、民間の努力などを勘案しながら、計画的、体系的にその整備を図り、指導者については、民間指導者を発掘し、また社会教育行政職員を増員し、その資質の向上を図るなどして、指導者層の大幅な拡充を図るべきである。

 社会教育指導員は本答申の翌年、昭和47年からスタートした制度です。この答申で、社会教育指導者の養成を求めている内容が、社会教育指導員の役割と共通していることが多いことから、この答申に社会教育指導員制度の根幹があったといわれています。
 その社会教育指導者養成を「社会教育振興」の中で次のように述べています。


第2部社会教育振興の方向 5社会教育における指導者(2)社会的条件の変化と指導者アの(イ)

 社会教育の内容は今後ますます多様化し、高度化するが、これに伴って指導者には、よりすぐれた資質と専門化された能力が期待される。今後、指導内容別(たとえば一般教養、体育・レクリエーション、消費者教育、家庭教育、職業教育、国際理解など)、役割・機能別(たとえば団体の運営、各種集会のプログラムの編成、学習効果の調査・評価など)、あるいは初級・中級・上級等の段階別などに、専門的な指導者が養成される必要がある。

 この提言を踏まえて、当時の文部省は社会教育指導者の充実を図るために各教育委員会に社会教育主事の配置を求めるとともに社会教育指導員制度を設けました。社会教育指導員には退職教員が数多くなってきたと思います。国の財政問題から補助制度は平成9年で終わり、平成10年からは市町村の一般財源で行われています。社会教育指導員も現在では、退職教員ばかりでなく、いろんな方が社会教育指導員としての職務を果たされています。本日お集まりの皆さんも前歴は多様であると思います。
 冒頭述べましたように、社会教育は多方面に亘っています。社会教育を進めれば進めるほど幅が拡がります。
 一口で「社会教育」といいますが、「社会教育とは何か」の定義をしているのは皆さんご存じの社会教育法第2条です。


社会教育法第2条

 この法律で「社会教育」とは、学校教育法(昭和22年法律第26号)に基き、学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動(体育及びレクリエーションの活動を含む。)をいう。

 先ほども見ましたように、社会教育指導員は社会教育指導者の一人として、社会教育指導員補助制度はできましたが、社会教育指導員の職務についての規定は社会教育法にはありません。社会教育主事の職務の規定しかありません。社会教育法第9条の3に次のように規定してあります


社会教育法第9条の3

 社会教育主事は、社会教育を行う者に専門的技術的な助言と指導を与える。ただし、命令及び監督をしてはならない。
2 社会教育主事は、学校が社会教育関係団体、地域住民その他の関係者の協力を得て教育活動を行う場合には、その求めに応じて、必要な助言を行うことができる。

 社会教育の特徴の一つは、「その求めに応じて」というところですね。学校教育は、指導内容が指導要領に明記してあります。そして、教科書で指導内容を教えます。社会教育にはそれがありません。住民が学習する内容は、住民の皆さんが学習したいと思うものです。例えば、カラオケでありますとか、囲碁・将棋、外国語会話、陶芸などたくさんあります。これを「住民の要求課題」と言っていました。もう一つは、市町村行政が住民に学んで欲しいと思う課題です。これを「行政の必要課題」と言っていました。例えば、人権問題でありますとか、環境問題、福祉問題、納税問題、今日では、学校支援もこの必要課題にはいると思います。この2つの課題を統合した形で各市町村とも公民館講座を開設していると思います。
 このことを「46答申」では次のように述べています。


第1部 2 生涯教育と社会教育

 生涯教育では、生涯にわたる多様な教育的課題に対処する必要があるので、一定期間に限定された学校教育だけではふじゅうぶんとなり、変化する要求や個人や地域の多様な要求に応ずることができる柔軟性に富んだ教育が重要となる。したがって、生涯教育においてとくに社会教育が果たすべき役割はきわめて大きいと言わなければならない。

 さらに、生涯学習を推進する上で社会教育の役割はきわめて大きいと述べています。
 この頃は、生涯学習とは言わずに生涯教育と言っていました。皆さんご存じのように当時の中曽総理大臣の諮問機関「臨時教育審議会」で、「生涯学習体系への意向」「個性重視の原則」「変化への応」を打ち出しました。臨教審答申以来、「生涯学習」という言葉が定着してきました。
 生涯学習は、皆さんご存じのように昭和40年、フランスのポール・ラングランが提唱したものす。日本には心理学者の波多野完治先生が「生涯教育」という言葉で紹介されました。ユネスコの「涯教育」論では、「lifelong integrated education」という用語が用いられていました。日本では「ライフロング(lifelong)」が強調され、生涯教育を生涯にわたる教育として広まりました。「ンテグレイティッド(integrated)」がやや欠落していました。「インテグレイティッド(integratd)」とは、統合するという意味です。教育を人々が生活している時間と空間、つまり縦軸と横軸ら統合的に見ていきましょうとの考えです。
 縦軸は、教育を生涯にわたった教育活動としてとらえ直しましょうという考えです。横軸は人々生活範囲です。学校、家庭、地域、職場とこれまた細かく分けるのでなく生活空間を統合してみてきましょうとの考えです。
 当時の文部省では、この生涯学習の推進をどの局が所掌するかが議論となったそうです。高等教局か初等中等教育局か、社会教育局かが議論となり、縦軸に暦年齢、横軸に生活領域をあらわす図書くと、学校教育領域以外は、すべて社会教育の領域です。そこで、生涯学習推進所掌事務は社会教育局が担うことになったそうです。
 文部省が、社会教育局を生涯学習局に局名変更したものですから、都道府県や全国の市町村教育委員会の多くの社会教育課が文部省に習って、社会教育課から生涯学習課へと課名変更したのです。熊本県では、課名変更しませんでした。宇城ではどうですかね?
 宇土市は生涯学習課ですね。宇城市もそうですね。美里町は社会教育係ですね。実は、これが大変な誤解を招いたのです。特に学校の先生方の間で。「生涯学習は、社会教育を言い換えたもの。学校教育には関係ない」と。今、このような誤解をしている先生方は一人もいらっしゃらないと思います。 今の指導要領の基になっています教育課程審議会答申では、次のように提言しています。


 変化の激しいこれからの社会においては、生涯を通じ、いつでも自由に学習機会を選択し、楽しく学び続けることが重要であるとの生涯学習の考え方を更に進めていくことが必要である。我々は、完全学校週5日制の導入を契機に、教育は学校教育のみで完結するのではなく、学校教育では生涯学習の基礎となる力を育成することが重要であるとの考え方に立って、教育内容の改善を図る必要がある。

平成の初め頃、文部省では「生涯学習のまちづくり」という事業を行っていました。旧七城町はその指定を受けていました。その事業の成果を発表する生涯学習フェスティバルが開催されました。そのフェスティバルで、七城小学校のK先生が6年生の国語の授業実践を発表されました。発表の冒頭、「明日、町の生涯学習フェスティバルで発表すると言ったら、同僚から『生涯学習は社会教育でしょうが。その大会にどうしてあなたが発表するの?』といわれました」と言われました。この言葉はまさに学校の先生方の間には「生涯学習=社会教育」の理解違いがあることを表しています。
 皆さんは、万葉集にあります柿本朝臣人麿の和歌   
   東の 野に炎の立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ
を、ご存じと思います。
 この和歌は、文武天皇がまだ軽皇子といわれていたころ、父の草壁皇子のご逝去ののち、大和の阿騎野に遊猟され、生前ここで狩猟された父を偲びながらこの野に宿られたときの皇子の心を汲んでお供に従った柿本人麻呂が詠んだものです。
 この和歌が6年生の国語の教科書に掲載されていたことがありました。和歌の意味も教科書に記してあったそうです。
 K先生は、「こんなすばらしい和歌を何度か読んでお終いにするのはもったいない。この和歌に詠まれた情景を絵に描き表してみよう。」と提案されたそうです。
 子どもたちの絵は、「東の 野に炎の立つ見えて」から東の方の情景は、山の端から今まさに陽が昇ろうとしている情景に絞り込まれたそうです。
 西の空の情景については、「かへり見すれば 月傾きぬ」を手がかりにして、月が西の空に沈もうとしている絵になったそうです。ところがその月は、三日月や上弦の月、下弦の月、満月といろんな月だったそうです。K先生が「月はどんな月だろう?」と投げかけられると、子どもたちは『満月だ」「三日月だ」「半月だ」と議論し、なかなか一つにまとめることができなかったそうです。時間がなくなったところで、一人の子が「この月の形は太陽のあるところで違いがあると4年生で習ったような気がする。明日4年生の理科の教科書を持って来てもう一度勉強してみよう」と提案したそうです。
 翌日、4年生の教科書をもとにいろいろ調べていると、「東の空に太陽が昇り始める時間に西の空に浮かぶ月は満月しかない」という結論に達したそうです。
 国語の和歌の学習を通して、歴史を学び、理科の学習を復習し、和歌に詠まれた情景を絵に表す、まさに知の統合です。
 過去の学習で学んだ知識や技能を本時の学習に生かすことは、生涯学習の大きな視点です。
 生涯学習についての提言は、以後、中央教育審議会で何度か提言がありました。その一つ、平成2年、中央教育審議会答申「生涯学習の基盤整備について」において生涯学習を次のように定義付けしました。


中央教育審議会答申「生涯学習の基盤整備について」
(1) 生涯学習は、生活の向上、職業上の能力の向上や、自己の充実を目指し、各人が自発的意思に基づいて行うことを基本とするものであること。
(2) 生涯学習は、必要に応じ、可能なかぎり自己に適した手段及び方法を自ら選びながら生涯を通じて行うものであること。
(3) 生涯学習は、学校や社会の中で意図的、組織的な学習活動として行われるだけでなく人々のスポーツ活動、文化活動、趣味、レクリエーション活動、ボランティア活動などの中でも行われるものであること。

 また、教育基本法でも生涯学習の理念が定義され、社会教育についても「個人の要望や社会の要請にこたえ」て教育の振興を図ることが規定されています。


教育基本法

(生涯学習の理念)
第3条
 国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。

(社会教育)
第12条
 個人の要望や社会の要請にこたえ、社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。
2 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館その他の社会教育施設の設置、学校の施設の利用、学習の機会及び情報の提供その他の適当な方法によって社会教育の振興に努めなければならない。

第13条 学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力

 これまで言ってきましたように社会教育は、これをしなければならないというのはありません。しかし、日本がこれまで発展してきたのは社会教育の成果だと私は思っています。世界中の人々が驚いたように、東日本大震災後の津波被害の中で、被害にあった人々は整然と並んで救援物資をもらっていました。外国でのこのような光景は見たことありません。我先にもらっています。あるいは暴動が起きています。このような社会規範が育まれてきたのは学校教育の成果でもありますが、社会教育が行われてきたからです。昭和20年代は、公民館という館はなくとも、公民館組織はどこの自治体にもありました。当時このような状態を青空公民館と言っていました。公民館で行った教育が社会教育です。
 その社会教育の特徴を見てみます。
 学習の場所ですが、公民館をはじめ博物館、公共図書館、視聴覚センター、青年の家・少年自然の家、女性施設、そして社会体育施設等の生涯学習施設が挙げられます。
 学習者は、自治体の住民であり、そこに在る事業所で働いている人々です。そして、子どもから高齢者までが学ぶのです。公民館が提供する学習機会は、そこの住民税でまかなわれていますので他の自治体に居住する人は受講できません。昭和50年代から平成の初め頃までは、近隣の自治体で共同して行う広域講座もあっていましたが。
 学習内容は、大きく分けて2つです。1つは住民の学習要求により開設する講座です。これを先ほども触れましたように「住民の要求課題」と私はよんでいます。趣味教養であったり、体育・レクリエーション、家庭教育、職業能力向上に関する講座、例えばパソコン講座などはまさにこれにあたります。家庭教育は、住民の要求課題というより行政の側から学んで欲しい内容、つまり「行政の必要課題」となっていますね。熊本県では、「家庭教育支援条例」を施行し、「親の学びプログラム」を行っていますから。
 2つは、行政の立場から住民に学んで欲しい内容を開設する講座です。人権課題であったり、環境課題であったり、福祉課題、社会連帯課題等があると思います。学校支援ボランティア養成も今の喫緊の課題です。これは私の学校を核とした地域の寺子屋プランナーという立場から最も訴えたいことです。これらを「行政の必要課題」とよんでいます。
 この2つをうまく組み合わせて講座は開設されるのですが、平成の初めの頃、文部省が生涯学習振興のため、「カラオケも生涯学習」と住民の学習意欲を喚起したものですから、住民の学習要求花盛りの公民館講座となった時期がありました。このような公民館講座を揶揄して、「地域を忘れた社会教育は、裏のお山に捨てましょうか」という戯れ歌が流行ったことがありました。
 これには反論もあります。住民の健康寿命を延ばすには、住民が心豊かに過ごすことが第一、そのことが国民健康保険の出費を抑える、だから、自治体にとっては住民の学習要求を取り入れた講座開設は必要なことだと。どちらが正論かは皆さんでご判断いただきたいと思いますが、この2つの課題をバランスをとりながら講座は開設してあると思います。そのバランス感覚が社会教育主事や皆さん方社会教育指導員に求められていると思います。
 こう考えてきますと、社会教育指導員に期待される役割はだいたい見えてくると思います。そのいくつかを列挙しますと、
 ○地域の学習課題や住民の学習要求を把握すること。
 ○学習計画や学習内容を企画立案すること。
 ○社会教育指導者への指導助言を行うこと。
 ○地域の教育資源や人材を把握すること。
 ○学習プログラムを実施すること。
 ○地域とともにある学校づくりのための連絡調整を行うこと。
 ○首長部局と連携した講座等を企画立案すること。
 ○住民の学習相談に対応すること。
 ○その他   
 このようなことが挙げられると思います。
 これまで偉そうなことを言って参りましたが、これからは私が益城町教育委員会社会教育指導員としてやってきたことを紹介します。
 学校教育には学習指導要領という羅針盤があるとは冒頭述べたことですが、社会教育には羅針盤はありません。社会教育の羅針盤は自分で求めなければなりません。その手がかりになるものは、各市町の住民憲章であり、都市計画であり、行政各課の重点目標であり、住民の意識調査等により把握した住民の学習要求であり、今の社会の動きだと思います。これらを総合して各市町の社会教育の方向を策定したものが当該市町の社会教育の羅針盤です。
 そこで、私が第一に手がけたことは、益城町生涯学習振興計画の策定です。生涯学習推進目標、生涯学習推進基盤の整備、生涯学習推進方策等をまとめて、「益城町の生涯学習」という冊子にまとめました。
 次は、公民館講座の見直しです。要求課題と必要課題とのバランスを考えながら講座を見直しました。その中の一つが、公民館講座に「そろばん教室」を開講したことです。この講座は、受講生の脳の活性化を図ることが第一の目標です。脳の老化にブレーキをかけることです。東北大学の川島隆太教授は、脳の活性化には、次の3つが有効だと提唱しておられました。1つは、簡単な計算をする。微分とか積分のような難しい計算は不要と。2つが、文を声に出して読む。3つが会話を楽しむです。そろばんは、一番目の簡単な計算をするにぴったりです。しかも、指を使います。脳の老化防止には最適です。そして、学んで得た成果を活かして、「孫や近所の子ども達にそろばんを教えませんか」をキャッチフレーズに開講しました。まだ、学校支援地域本部事業や子ども教室などの事業はありませんでした。また、講座生と一緒に学校へ押しかけ、3年生のそろばん学習の手伝いをしました。初めは、「公民館講座生の生きがいづくりのために、何で子どもたちを貸さねばなりませんか」と反発していた先生も、講座生の学習支援によりそろばん学習が効果的にできたことに驚き、礼まで言われました。
このことは、熊本放送の18時台のニュース番組で取り上げられました。
 3つめは、住民の皆さんの学習意欲の喚起です。生涯学習啓発パンフレットを年2回発行しました。講座担当講師や学級長の言葉で、各講座の学習内容や学習によって得る喜び等を紹介しました。夫婦で公民館講座を受講している人を取材し、おしどり夫婦として紹介しました。自主講座や小中学校の特色ある学習を取材し、紹介しました。その中には、中学生が小学生に読み聞かせをするために読み聞かせの練習をしている袴野中学校の生徒や、PTA図書部が選本の視点や読み方、声の大きさ等の学習をしている例などを紹介しました。
 4つめは、公民館講座で学んで得た成果を地域づくりに活かすことです。この原点は、旧矢部町の高齢者大学生による通潤橋案内ボランティアです。旧矢部町の高齢者大学は、郷土史科がありました。そこで学んだ人が、「自分たちは町の税金で学ばせてもらっている。町に恩返しできることはないか」と考えていました。一方、教育委員会では、通潤橋の学習に来る小学生に通潤橋を案内してくれる人はいないかと探していました。ちょうど両者の思惑が合って誕生したのが通潤橋案内ボランティアです。益城町では、学習の成果を活かして福祉施設等を訪問する人が数人はいましたが、ボランティア活動に活かすということはほとんどあっていませんでした。そこで、公民館講座開講式では、1時間ほど時間をもらって、「学習成果を地域づくりに活かしましょう」と訴えました。その内容は、本日は時間の都合で紹介できませんが、私のホームページで紹介しています。時間にゆとりのある時、ご覧ください。
 5つは、人権啓発です。益城町では、人権啓発ビデオ、今は人権啓発DVDを毎年4本ほど購入しています。老人クラブや婦人会の会合でその啓発ビデオを使って人権に関する啓発をしました。また、学校の先生方の人権教育研修会でも講話をしました。
 6つは、地域とともにある学校づくりの推進です。益城町では平成20年度から「学校支援地域本部事業」と「放課後子ども教室」を実施しています。学校支援地域本部事業は、学習支援ボランティア募集から始めました。学校の先生方への啓発、そして人材バンの更新等を行いました。放課後子ども教室は、そろばん教室の受講生の皆さんを中心としたそろばん学習を基本に行っています。
 7つは、学校支援ボランティアの養成です。公民館講座をこの視点から見直し、各講座生に学校支援を呼びかけました。子どもたちの「学習のお手伝い」と言っても初めのうちはなかなか進みません。「自分が習っているのに教えるなんてとてもできません」がその主な理由です。その方々一人一人に「教えるのは先生です。私たちは先生のお手伝いをするのです」と話をし、学校支援についての理解を図りました。今は、町内5小学校、2中学校でたくさんの学習支援ボランティアがおいでています。
 これまで紹介しました私の実践は、私一人で行ったものではありません。益城町生涯学習課の皆さんと相談し、係長・課長、そして教育長兼公民館長の決裁を得て行ったものであり、どなたもしていらっしゃることばかりです。
 社会教育指導員の皆さん方、公民館講座が地域社会にとって意味があるとともに、参加者が楽しむだけでなく、充実感や今後の人生の生きがい、そして社会貢献に活かすことができるようなプログラムを企画立案してください。
 終わりに、鹿児島島津藩中興の祖と言われています島津日新斉忠良が5年がかりで完成させたと伝えられる「いろは歌四十七首」の中から「い」で始まる歌を紹介して終わります。
 このいろは歌は、戦国の世から幕末・明治維新へかけての島津藩武士の行動の指針となったものだそうです。
   いにしへの 道を聞きても 唱へても わが行ひに せずばかひなし  
 私は、この歌は生涯学習の神髄を表していると思っています。
 鹿児島へ旅行されることがあるとき、少し足を伸ばして「南さつま市」まで行ってみてください。南さつま市、旧加世田市に「竹田神社」があります。この神社の境内に、いろは47首の石碑が建っています。教育委員会まで行かれると、47首の歌集がいただけると思います。
 学んで得た成果を地域づくり、学校支援に活かす社会教育を推進しましょう。このことは、安倍内閣の諮問機関「教育再生実行会議」の第6次提言でも述べています。
 宇城管内の社会教育が皆さん方の手により、ますます充実発展しますことを祈念して話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。